中学3年の英語の達成課題は「書く」だけにとどまり
読む、聞く、話す は惨憺たるものだったらしい。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170224-00000077-jij-soci
というかね
それは中学3年生だけに限ったことではないよ。一部(実戦の場で言語を活かしてお金を貰っているプロ)を除いた日本人全体にいえることだ。
以前、記事にしたことがある。
「どうして日本人は外国語を使えないのか」
http://ameblo.jp/miumalovely/entry-12124875105.html
そもそも
日本人全体の外国語そのものを学ぶ目的が不純なんだよ。
そもそもの目的が
「その外国語を活かして世界で仕事をする」
というものではなく
受験(入試、資格、就職、昇級)のため
という視野が非常に狭い、方便目的で終わっているからだよ。
その目的と言うこととなると
どうしても、試験に出る出ないに限定してしまうし言語を学ぶ醍醐味も失われる。
例えばさ
[キミが超好きなんだけど]
と言う日本語を英語にしたい場合(面倒だから全部小文字で書くよ)
i like you hell of a lot.
これ、実際は本当によく使われる表現だ。特にネイティブは
バカみたいに使う。ネイティブでは当たり前なんだろうね。
お前ら覚えとけ。良い勉強になったな。
でも、殆どの日本人はこう捉える。
「そんな表現、試験に出ないよ」
で、こういう
「試験に出ないよ」(or試験に出る)
という、何でも試験の範疇で括る狭い思考は
特に「試験のため」に外国語を学んでいる日本人や学生の間でバカみたいに抱いている。
出る出ない
出そう出そうにない
言語にはそんなもの関係ないんだよ、ボケ。
少しはそこから外れて、広く勉強してみたらどうだ。
と 手厳しく言うオレも
現実、受験の世界(予備校)で教壇に立っているから
どうしても試験に出る出ないの内容は絞って、学生に伝授するようになる。
以前にも書いたと思うが
俺たち指導者もいけない部分はあるんだよ。
出る出ないをどうしても限定してしまうから。
でもな、オレは、コレも前にも書いたと思うけど
例えばさっきの例文でも書いたとき
「こういう表現もあるんだよ。試験には出ないけどね。
でもこういう表現、面白いだろう? 色々な表現が使えたら
実戦では楽しいよ。ネイティブの反応とか面白かったりする。
『なんでそんな表現知ってるの?』とか驚きの反応とか面白い。
で、どんどん難しい表現を使って、『その表現初めて聞いた』と言わせるのはもっと楽しい。言語って、強制的に学ぶものじゃない。楽しいものなんだ」
ということを極力生徒に伝えるようにしている。
そのときの生徒の反応で
「こいつは試験が終わったらもう外国語の勉強もストップするな」
「こいつは試験目的で終わらないな」
というのはわかる。
前者は、ボケーっと聞くだけの奴。メモも取らない奴。
後者は、真剣なまなざしでメモしている奴。
そこのキミ。自分の学生時代を思い返してご覧。
英語教師が「コレは試験に出ないけどね」という説明をしたかどうか知らんが
仮にした場合、キミ、出ない表現を必死にメモして、自分でなんか例文を作ったりそれを発音してみたり、言語を楽しんだか??
してねーだろ。
やっぱり日本人って殆ど
99%と言っても良いのではないかな
外国語を学ぶ目的と言うのが試験の為 という目先のものであるから、楽しんで学ぼう・その言語を活かそう という本来の言語を学ぶ(べき)目的が全く見据えられても居ないことは間違いない。
小学校3年から、英語を必修科目として扱うらしいが
そもそも、勉強と言うものは
強制ではじめるのではなく、自らの学びたい意思があって
初めて成り立つものだよ。
この日本人の英語問題を改善したいなら
「学びたい人だけが学ぶ」
という選択科目で試してみてはいかが??
案外、それが近道かも知れんぞ。
オレはもうガキの頃から
言語に興味を持っていて、英語と中国語はマスターしていたから
運が良かったのだが。