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残す数字が低すぎる現代のプロ野球が昔よりレベルが高い の意見   「発言に矛盾。爆笑もの」

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現代のプロ野球(メジャーも然り)のレベルを講じるとき
客観的な判断材料にする部分といえば

「選手たちが残している成績」

しかない。それ以外は主観的な要素であって
客観的な要素ではない。

現代の野球選手の残す成績は
年々落ちており、特に投手のレベルは打者以上に酷いものがある。


残す数字が低い現実に矛盾し
「レベルが高い」


の現代擁護派の意見にオレは非常に訝りと失笑を覚える。



理論的に説明し、最後に、現代擁護派・現代否定派の両者(特に現代擁護派)への質問を投げかける。それに特に現代擁護派に理論的に客観的に(データも駆使し)返してもらいたい。感情論は一切コメントも返さないのであしからず。


要するに、オレは

「理論には理論」「客観性には客観性」

で対してもらいたのだ。

オレが記事にしている内容は
すべて客観性を持ったもの、理論を持って指摘しているものだ。
(一部、おふざけ記事は除く)

このブログの存在は
世のおかしな内容、矛盾する内容に対し
「おかしいものはおかしい」「考え直せ」「目を覚ませ」という警鐘目的で書いている。(これはかつて何度も書いた内容)



前回にも書いたように
現代のプロ野球(選手たち)の成績は昔より格段に低い。
年々下がっているとさえ思っても良いほどだ。

コレは客観的(数字的)に間違いのない事実だ。


核心。ここでこういう現代擁護派がいる(た)。


「全体的にレベルが上がれば、残せる数字は低くなる。突出した成績も残せなくなる」(イコール数字の均衡化)



オレは、この発言に非常に訝りとひっかかりを覚えている。
同時に、こう簡単に返せてしまう。


上記の発言がまこと確かであれば


●28本でホームラン王、80打点で打点王が決まった95年は超絶最高レベルか
●最優秀防御率が3点台で決まった90年代終わり~00年初めは超絶最高レベルか
●大相撲なら11勝4敗で5人での巴戦になり、11勝4敗で優勝した武蔵丸の90年初めは、最高レベルか?
●上記理論が正確なら15戦全勝や14勝1敗が続出する現代は、大相撲の低レベルという意味になるが(しかし、レベルが高いと吹聴する矛盾)
●ダルビッシュが日本にいた頃、防御率1点台がワンサカ、セパで出た頃は最低レベルか(しかし、巷はレベルが高いと言ってるんだが??矛盾)
●田中のマー坊が日本にいた頃、24連勝、勝率1.00を出したときは、最低レベルということか?(しかし巷は褒め称えレベルが高いと言っているが。矛盾)



上記のオレの指摘点。現代擁護派は理論的に客観性(データ)をもって
的確に返して欲しい。


前回の記事にも書いたように
オレは

「周りは一切関係なく、自分がどうか。自分の能力が高ければ残せる数字は高い。能力が低ければ残せる数字は低い。それは節理・道理。だから成績を残そうと努力する。自分が低レベルで成績が残せるなら、練習する存在意義自体無くなる。節理・道理から、現代の残す数字が低いというのは選手層の低レベルを客観的に示す証明」

と断言している。

それを否定するなら
現代の残す数字の低さを客観的証明(データ)として取り上げることもできる。




前回も書いたが、これも問いただしたい。



「全体的な層のレベルが上がれば、残す数字が低くなる。突出した数字も残せない。=数字の均衡化」


が、まこと正しいのであれば


100点満点中20点が平均で
高レベルの団体(学生たち)だ と世間一般は判断するのか?



ということだ。


現代擁護派は、この平均20点の団体を
高レベルであると吹聴しているのと同じレベルだ


ということも併せて指摘したい。


全体的な層のレベルが上がれば
成績は残せなくなる、突出した成績が残せないならこの平均点の原理も同じ理論(理屈)として通用してしまう。



しかし、現実


平均20点の団体を
レベルが高いと判断する輩はいない。



おれはここで本当に「こいつら(現代擁護派たち)、アホか」正直に素直に
思ってしまう。


平均点20点の団体を高レベルとは判断しないのに何でスポーツのことになったら、残す数字が全体的に低いのが客観的に示せられているのに、矛盾したようにサルが噛み付くように躍起になって「レベルが高い!」と吹聴するのか。


ということ。


いや、ホントおかしいよ。この行動。
矛盾が凄い。



結論から、オレは現代擁護派のこういう矛盾発言の心理を
こう分析(判断)している。



「残す数字は客観的に低い。低いことは分かっているがレベルが高いと思わないと自分(たち)が昔に負けたという強制的な印象作用が働いて腹が立つ。だから客観的に数字が低くても、現代がレベルが高いと無条件で判断しないと気が済まない」


そういう心理が働いているんだということだ。



あのー これってね。昔の選手がその時代を


「俺らの時代のほうが凄かった。あの当時は凄い練習で、凄い選手たちもいた。それに比べ、今の時代は・・・」と吹聴している「俺らの時代のほうが」と上に扱うのと同じ心理だろうね。



だから、現代擁護派の連中も
昔の元選手たちのそういう心理を

「老害」

と一言で感情論中傷で片付けるのは、あまりにも大人気ない。


あんたら(現代擁護派)も
同じことをやってるんだから。残す数字が低いのに今がレベルが高いと言ってるんだろ??




ただ、オレは昔の選手たちのほう(行動、発言)がまだマシだと思ってる。


残す数字が実際今よりも遥かに高いのは誰の目にも見て明らか。昔のほうがレベルが高い。今はダメ。今は不甲斐ない は道理として客観的に正論


だからだ。


前回と似たような記事になったとは思うが
ご容赦を。




 


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