今日の授業準備のため起きてました。
かつてジャイアンツに槙原と言う投手が居ました。
あまり知らない人が多いと思いますが
槙原は94年(だったかな)に完全試合を達成し
技巧派投手としてジャイアンツの看板投手でもありました。
そんな槙原ですが
新人の83年は終速150キロ超の豪速球で鳴らした投手であったのは案外知られていません(忘れているというか、知らない人さえ多い)
オレは良く覚えているのですが
初速と終速の差が小さい豪速球を投げ込んでいました。(現在のスピードガンは初速表示じゃなかったかな。昔は初速と終速の2つ表示)
ただ、その豪速球一本では生きていけないことを悟ったのか
数年後、豪速球で押す姿は無くなり、速球と変化球を織り交ぜたスタイルに変貌。
勝利を積み重ねていくようになりました。
94年の完全試合はその集大成とさえ思います。
そんな槙原ですが
83年のルーキーイヤー。ヤクルト戦では滅多打ちに遭っており
特にヤクルトの大杉には
本塁打こそ許していませんが
6打数5安打と極度に打ち込まれている結果が出ています。
かなり関係あるとは思いますが
83年 4月24日の対ヤクルト戦でヤクルト戦初勝利。 但し、その試合大杉は出場してません。(大杉がスタメン復帰するのは、4月27日 対広島戦。津田から1号2号の2発)
そして大杉がスタメン復帰して以降
対ヤクルト戦は1回も槙原は勝てていない結果が出ています。
動画でも残っていますが
大杉相手に豪速球と変化球で攻めてはいるものの
どことなく攻めにくそうな感じさえ漂ってはいます。
(打たれているからそう見えるだけか)
見るからに
勝負を急いでいる(焦っている)ような感じさえします。
かつて記事に、オレは大杉に関して
「豪速球に強い打者だった」
と書いた記憶があります。
大杉は知っている人は知っているのですが
ストローク(振り幅)が短く(小さく)、スウィングスピードが速く、ストロークの短さに反比例して飛距離が出る打者でした。(常識でストロークの短い打者は飛距離は出ない)
豪速球の槙原を相手に
6打数5安打と一方的に叩きのめしている結果を鑑みると
やはり大杉は、(勿論、槙原が豪速球主体でごり押ししていたルーキー時代と言うことも1つあるのでしょうが)豪速球投手には滅法強かった
ということは間違いないことだということです。
あの時の槙原に対して
大杉はどのような思いを持っていたのでしょうか。
かつて大杉は江川の速球に
「ボクは尾崎さんの豪速球を知っている。今更江川君なんて大したこと無い」
と一言発言を残していますが、槙原に対しての発言は残っていません。
もし、大杉が存命であったら
同じく江川の時の発言のように
「大したこと無かった」
と一言残すでしょうか。