ヤクルトスワローズ
77年の球団初の2位
78年の初優勝、そして日本一
その原動力となった打者は
チャック・マニエル
大杉勝男
この2人で間違いないですが、以前、その2人の77年、78年、81年の3年間の4番回数と打撃成績を載せたことがあります。 えーと、これですね。
http://ameblo.jp/miumalovely/entry-12123407534.html
3年と言う短い期間ですが
総合的に
大杉より、マニエルが4番にふさわしい打撃能力
と言う結論で良かったと思っています。
が
それがまた覆るかもしれません。
というのも
マニエルが良かったのは77年だけで
その1年だけが異常に飛びぬけていただけ
と言う結果だからです。
投手で言うところの
江川が良かったのは81年だけ
と言う感じです。
勿論、大杉も年齢的に30台中盤に差し掛かる時期(77年、78年)、そして30代後半(81年)。全盛期は過ぎていたとはいえ、それでも凄い打撃成績なのは事実です。そして大きな飛びぬけたものこそないが、安定感がある。
そこで、リンク先記事でも書いてあるように
両者の3年間の4番の成績はどうなんだろう。
と締めくくって終わったわけですが、ルルさん(名指し失礼)が
時間を割いてくださり、調べてくださいましたので紹介いたします。
77年、78年 81年 の3年間の4番出場時成績
●大杉勝男
217試合 814打数 266安打
打率.324 45本塁打 167打点
本塁打率18.1 打点率.205
打撃3冠総合値 348
●チャック・マニエル
161試合 575打数 159安打
打率277 48本塁打 131打点
本塁打率12 打点率.228
打撃3冠総合値 385
前にも書いたように、マニエルは81年、もう大杉と4番を争う力は無く
大杉の独壇場だったわけですが、それでもマニエルの打撃成績(特に本塁打と打点能力)は目を見張るものがあります。 大杉も完全に全盛期を過ぎていたのに、それでもマニエルには及ばないものの、この値は流石でしょう。
そこで、77年と78年の初の球団2位、そして初優勝と日本一のとき
2人の4番出場時の打撃成績を、ルルさんが調べてくださいましたので掲載させていただきます。
●大杉勝男(77年 4番出場時)
67試合 252打数 80安打
打率.317 11本塁打 50打点
本塁打率22.9 打点率.198 打撃3冠総合値286
●チャック・マニエル(77年 4番出場時)
63試合 226打数 70安打
打率.310 28本塁打 67打点
本塁打率8.07 打点率.296 打撃3冠総合値525
77年の4番は完全にマニエル。この数字は異常です。
王貞治以上の打撃能力でしょう。おそらく、全盛期の王でさえ敵わないかもしれません。
広岡氏は後半戦、マニエルに4番で統一した感じでしたが
間違ってないと思います。
一方大杉は打率こそ0.317と高いですが
本塁打があまり出ておらず、勝負強さでカバーした そんな感じでしょう。
77年の大杉は、そこまで4番として機能してなかったのかもしれません。
まあ普通の4番打者 と言う感じが77年の大杉でしょう。
後半戦、マニエルで4番統一していた広岡氏の判断はやはり正解でしょう。
同時に球団史上初の2位躍進の原動力は大杉ではなく、マニエルだったのも間違いないでしょう。
続いて、78年球団初優勝、そして日本一時の4番成績
●大杉勝男(78年 4番出場時)
59試合 226打数 67安打
打率.296 15本塁打 53打点
本塁打率15.1 打点率.235 打撃3冠総合値380
●チャック・マニエル(78年 4番出場時)
71試合 270打数 70安打
打率.281 19本塁打 57打点
本塁打率14.21 打点率.211 打撃3冠総合値350
両者拮抗していますが
大杉に軍配。 広岡氏は前半戦マニエル、後半戦~日本シリーズまで大杉で4番統一していました。
そろそろ外出するので
81年の4番出場時の成績は帰宅後に。
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77年、78年、81年のマニエル、大杉勝男の4番成績 「総合的に大杉勝男か?」
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