帰宅後、この記事に題目のことを上書きして綴っていきます。
では後ほど。
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先ほど帰宅しました。
では、綴っていきます。
受験には入試を初め資格試験、就職試験、昇級試験がある。
それらも「受験」だ。
それらの試験は、よほどの特別な事情がない限り
「客観的な問題が出題される試験」
となる。
そして、オレは
「試験は全て客観的な問題でなければならない。主観的な問題になってはいけない。」
と思っている。
3年前に主観的な問題と客観的な問題について綴っているので
こちらを参照してもらいたい。
http://ameblo.jp/miumalovely/entry-11086712830.html
重複するが、主観的な問題は
その人の力を見るうえでは非常に良い。
例えば
問1 「今日の教育に関してあなたの意見を英語で述べよ」(字数無制限)
という問題が出されるとする。
こういう問題は
その人の能力を見る上では非常に良い。
しかし
英語の表現法は人によって色々違う。
人によって違うと言う事は、解答法が無限に広がるということだ。
こういう問題は「主観的な問題」に分類される。
解が定められておらず、どういう解を導けば正解だと言うものが決められていない。正解か不正解かの判別が採点者の裁量に委ねられる。
これが主観的な出題(問題)だ。
解答者の力を見るうえでは非常に良いが
どういう解答法が正解なのか決まっていないから
「あの解答がどうして正解で、あの解答がどうしてダメなのか」
と後々、問題が紛糾する可能性がある。しかも採点に非常に時間が掛かり、曖昧な基準では必ず問題が起こる。
だから、数多の受験者が受ける試験では
どうしても出題は客観的な問題にならざるを得ない。
客観的な出題(問題)の利点は多くある
記号問題のような客観的な問題だと、解が既に決まっているから問題になることは無い。例えば、解を「ウ」に設定しておけば、「ウ」以外は全て不正解だと「誰が見ても」わかる。こういう問題が客観的な問題だ。しかも採点も楽で早い。×か○しかないので仮に受験者から文句が出ても、「間違いだ」「正解だ」という説明も簡単に出来る。
客観的な問題は
「誰がどう解いてもその答えにしかならない」
と言うことが一番効果的であり
問題(紛糾)がまず発生しない。
だが
主観的な問題は問題が発生しやすく
裏で何をしているのかわからないことがある。
先ほど
正解か不正解かは採点者の裁量による
と指摘した。
これは事実、主観的な問題の採点の現実だ。
採点が大変なので
もしかしたら、採点は非常に甘めにしており
何かしら書いていれば、もしかしたら温情により○を下している可能性がある。
もうめんどくさいから
とかね。ありうるよ、それは。
試験と言うものは誰を通すかではなく
誰を落とすかというものなので、やはり白黒はっきりつけられる客観的試験に統一すべきだ。
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受験(入試、資格、就職、昇級試験)問題はすべて客観的なものにすべき 「主観的なものは避けよ」
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