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日本の英語教育を改革せよ    「文法偏重は廃止。大事なのは状況判断による表現の使い分け」

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以前、日本人の英語能力が伸びないことに関する記事を書いた。

これだ。


http://ameblo.jp/miumalovely/entry-12124875105.html



日本の外国語学習においては
非常にバイアスがかかっている。



それが



文法偏重(一辺倒)



だ。



日本の英語教育はそもそも
書き言葉=「文語」なので、文法に比重が置かれる。





例えば



「昨日私が買ったこの本は、非常に読み難い。」



これを文法に即して英訳するとこうなる。
(以降、大文字変換がメンドウなので、すべて小文字で表記することにする)



this book i bought yesterday is very hard to read.



学校のお勉強ではこう教わる(詳しく指導しない教師もいるが)

文型としては第2文型。主語+動詞+補語の形だ。
this bookが主語(おおざっぱにyesterdayまでが主語でもよい)
isが動詞
hardが補語(大雑把にvery~readまでが補語と解釈してもよい)

i boughtの後ろに目的語が無い。i boughtの目的語は先頭に位置している。
だから、this bookの直後に関係代名詞目的格(whichもしくはthat 省略化)を置き
i bought→this bookで戻る訳をするわけだ。yesterday自体は副詞なので無視して良い。
副詞表現、前置詞以下の表現は文型には含まれない。

こういうことは学校で教わる(さっきも書いたが、言わない教師もいる。特に無能な教師)


これが文法的に、いや、文法にキチンと即した英訳になる。



日本の外国語教育そのものが文語(書き言葉)に偏重しまくっているので「こういう表現にしないと言葉じゃない」と妙な先入観に陥っているのだ。




予備校で英作文をさせることがよくあるが
キチンと非常に丁寧な英訳をしている学生が数多いる。




悪くは無いし、良いことなのだが、どうも、「ここまで丁寧にやらないと点がもらえない」という畏怖の念にかられているような感じが生徒からムンムンと漂っている。もっと気楽に取り組めないか?とさえ思うことがある。




オレは以下の表現でも良いと思っているし
以下の表現でも間違いなくネイティブに通じる。



i bought this book yesterday is very hard to read.



オレなら丸を下すし、全然問題ない(ネイティブに通じる)と判断する。


まあ、日本語で変えるとこういう感じだろうね。



「昨日、オレこの本買ったは、とても読み難かった」



全然問題ないでしょ。



「あ、買った本が読み難かったんだね」って誰もわかるよ。(分からないやつはよほどの国語力がないアホ)


十分なのにさ、なんであそこまで堅物に「文法文法」って拘るの??
キチンと書きすぎというか、あそこまでキチンとしてたら逆に気持ち悪いよ。


言い方を変えると



常にタキシード着ている



そんな感じなんだよ。



キャンプへ行くときもタキシード。
旅行へ行くときもタキシード。
友達のところへ行くときもタキシード。
家にいるときもタキシード。



これが日本人の外国語に対する接し方。



文法をきちんとしないと外国語とみなされない
とヘンな恐怖感に束縛されている感じがする。



これは前にも書いたように、日本の外国語教育に対する目的が「受験のため」というものに終始しているためだ。



言い換えると



投資目的に外国語の勉強はするが
消費目的で外国語の勉強はしない

ということだ。



投資目的は見返り(合格)を期待する行為が目的としてある。
消費目的は見返りを期待せず、勉強そのものを目的とする行為。



前者は大きな弊害(バイアス)が掛かるのは自明だ。





オレはね、文法よりもっと大事なことがあると思ってる。





それは状況により表現をキチンと使い分ける




ということだ。




例えば、前、コメントで


this train goes to tokyo stationはおかしくない


と入ってきた。



勿論、文法上の間違いは無いよ。


キチンと第1文型(主語+動詞)をとっている。




しかし、問題なのは
上の英文の前置詞は「一直線」を示すtoが使われている。



それを交通機関に使うと


1・・その電車の始発駅から東京駅まで一直線
2・・1より、その間のどこの停車駅も一切無い
3・・2より、人の乗り降りも一切無い



と言う表現になる。



回送列車かよ???



だから交通機関で「一直線」のtoを使うと



「東京駅まで行きますけど、その間の駅は一切無くどこにも停まりません」



って言う意味になるんだよ。ニュアンスとして。



それ聞いて、例えば途中の名古屋駅に行きたい人は
その電車に乗るか??? 乗らねーよ? 「絶対停まりません」って言われてるんだから。


名古屋まで行きたい人が、一切停まらない乗り降りも無い電車だと言われて乗るか???



だから「どこどこに行く」という一方的な解釈でtoを学んだ学生は
交通機関でも普通に to を使う。



文法上は



this train goes to tokyo station



は間違ってない。あくまでも「文法上」はね。



しかし、表現そのものはおかしいから
オレなら「そんな電車あるわけ無い。表現がおかしい」と判断し×を下すね。絶対×だ。○を下す教師がいるなら、そういう状況判断(能力)がその言語で無い教師だ。

ただし、状況判断とか関係なく「文法だけで見ろ」というなら○だ。第1文型をキチンととってるから。




今の学生ってさ



この状況はこうだから、この表現はアカンな
という状況をみて、表現の変化をつけるという能力に乏しい(無い)んだろうね。



これは学生本人の努力の問題もあるだろうが
教師の問題でもあるし、今の外国語教育の文法偏重の弊害でもあるとオレは思ってる。




この電車は東京駅行きです。=

this train goes to tokyo station

だぜ??? フツーに考えて
始発から東京駅までどこの駅にも停車しない、人の乗り降りも一切無い電車なんてある?????? 回送じゃねーんだからさ(笑)


そんな電車あるわけねーだろ ボケ(笑)
ってのがオレの答えだ。




何年か前に書いた表現



「この水、(オレ)飲める??」

can i drink this water?




聞く側は「水を飲んだらヤバいかな」という恐れで聞きたいとする。


まあ、日本では


「この水、飲んでイイもんなの?=飲めるの?」的に聞くだろうね。それが上記英語表現で書いたとする。



「あ、飲んだらマズいよ」
「腹壊すからダメよ」


「止めとけ」みたいに制止が入る。
日本ではね・・。



けど、こういう曖昧な聞き方(表現)は時として命に関わる。こういう曖昧な表現が通じるのは日本くらいだよ。




ネイティブにこういう聞き方をすると
例えば、その水に毒薬が入っていても


水を飲むこと自体は禁止されてない。


だから


「(水飲んだら死ぬけど水を飲むこと自体は禁止されてないから)勿論。ご自由に」



と返答が来る。



当たり前だ。



許可を求める助動詞のcanで尋ねているから
「禁止されて無いですよね」「飲まさせてください」という許可を得ようと解釈する。



水を飲むことを禁止してはないから
当然、答えは sureとか go ahead とか。 no way!なんて答えないだろう。



飲んだら最後。



ポックリあの世行き。



has this water been boiled?
(この水煮沸してるんですか?)



と聞けば



「飲んで良い」ものか否かもわかる。



飲めるのか? という聞き方が
いかに危険で曖昧な表現であるかもよく分かるだろう。



オレは文法よりもこういう状況に応じた表現の使い方をキチンと学ぶほうが重要だと思う。



文法と言うのは、ほどほど(というか大雑把)で問題ないよ。



これはペンです。 なんで



pen,this


これで十分。



this is a pen.


なんて気持ち悪い。


何をそんなに形式ばってかたくなってんの???
って逆にこっちが聞きたくなる。







 


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