ボクシングミドル級の試合で
同級2位の村田諒太がダウンを奪いながらも12R 1-2の判定負け。
この結果に日本人の多くが
「判定がおかしい」
「ダウンを奪っているのに何で負けるのか」
「有効打があったのに」
こういう訴え(疑問)を呈している。
恐らくね、同じ日本人だからということで
日本人の殆どは、村田の(試合での)良い部分しか記憶に残っていないのだろう。
「ダウンを奪った」
「有効打があった」
そこしか擁護者は呈していない事実から鑑みると
そういう良い部分の印象だけしか頭に無い ということだよ。
審判(ジャッジ)たちは
ダウンを奪うこと、有効打は勿論だろうが
手数の多さ、積極果敢に前に出て打っているかどうかも判定基準で入れているんじゃないのか?
オレは試合を見ては居ないが
ダウンを奪いながら、有効打があった村田が負けたと言うことは
1・・村田は相手からダウンを奪ったが有効打は相手よりも少なかった
2・・積極果敢に前に出ることが相手よりも少なかった
3・・手数が相手よりも少なかった
そんなところじゃないのか。
そこを日本人の擁護者たちは
村田に肩入れをして試合を見ている(た)が故に
そういう判定にも肝要な部分を蔑ろにしてみていたののだと思う。
ダウンを奪った
有効打はあった
まああったんだろうと思う。
でも相手が判定で勝ったと言うことは
上記3点が相手には、村田よりもあったということだろう。
なかなかそういう部分は
応援して肩入れをしていたら見えにくい部分では有るので、試合観戦、ジャッジは冷静に中立な立場で「公平な眼」で見る必要が有る。
それが端から目的(冷静に中立な眼で試合を観る)じゃない人が「あれは村田が勝っていた」「ダウンを奪っていたのに」とか良い部分しか取り上げず
ああだこうだ言うのだろう。