題目のとおり。
先ほどメッセージで
先日の one must have been cold to appreciate warmth.
の訳が違うと指摘をもらった。
言い訳ではない。オレの先日の訳で正しい。
これは元来、この句を示した人の「回想」によるものであり
我は~ と訳すべきものだ。(一般人を指す人と訳しても良いし、youを主語にしてもなんら問題ない)
回想であるがゆえに
「我は暖かさの価値(有り難味)を知るために、寒さを感じたに違いない」
でも全く問題ない。そこから意訳(一般人に向けての忠告や人間としての存在意義)をすれば
「人は暖かさの価値(有り難味)を知るために、寒さを感じるべきだ」
という訳につながっていく。
我=人
前者の本来の回想から
後者の訳に繋がる。 繋げてみればよろしい。繋がるから。
さほど意味は違ってこない。(というか同じことだ)
で、この記事を書いていたら
オレがかつてjicaの職員(北アメリカのネイティブ)と議論をしていたとき。
20年位前のことをおもいだした。
確か南米の物乞いをしている少年たちについての話を重ねていて
ネイティブがオレが話しているのに、オレの話に割り込みをしてきた。
オレが let me finish.(最後までオレに話をさせてくれ)
と告げると、ok. hope i talk with you again.(また話をしよう)
と話を切り上げられてしまった。これは本当に忘れられない。
同時に、今思い出しても腹が立つ。
今でも忘れられないが会場内はざわついた。
失笑も漏れた。
恐らく、オレが「もうめんどくさいから話を終えよう」みたいに発言したんだと
会場内は思ったのだろう。 なにしろ finish を発言したから。
そのfinishだけで、英語がわからない会場内の連中は
「話を終えましょう」 みたいに逃げたんだと判断したんだよ。
とんでもない。
ヂョーダンヂャナイヨ(byたけし)
let me finish は
「オレに最後まで喋らせてくれ」
の意味だよ。
オレの当時の指導教官だったS教授(2004年死去)だけはわかっていたようで
「let me finishの意味を知らなかったんだろうね。普通に『話を終わらせて』で捉えたんだろう。まあ、珍しいことじゃない。日本人だからといって、日本語に精通しているワケじゃないのと同じ」
と何の驚きも見せずにオレに返していた。
だいぶ救われたが
それでも、オレが負けたようで気分はしばらく良くなかった。
まあ確かに、日本人だからといって、日本語を何でも理解できるわけがないのと同様に
アメリカ人だから、イギリス人だからといって、英語がすべて理解できるかと言えば
答えはノーだ。
実際に、let me finishでも、相手は理解できていなかった。
また、ちょっと仲の良い(良かった)イギリス人がオレの発言する単語の意味を理解しておらず、暴言と捉えてしまい、関係に亀裂が入ったこともあった。
これも今でも覚えているが
オレが
pray take the magazine over a paper.
if you say fuck no, it is ok. i know it is a bitch.
とお願いしたときだ。
このオレのお願いは
「新聞読みながらでもいいから、その雑誌とって。
絶対いやだ。自分でとれ っていうなら、良いよ。めんどくさいのわかるし」
と言う意味だ。
オレは余計な一言を付け加えることがあるので(まあこのブログでもそうだが)結構人を敵に回す。このブログでもアホな荒らしが多々乗り込んできているのがその証拠だよ。(この一言が余計? まあ何か恨みがあるんだろーね。オレは記憶にないけど)
この発言のとき、その仲が良かったイギリス人は
烈火のごとく怒り狂ってきた。
後に向こうが謝罪してきたが
bitch を「めんどくさい」の意味とは知らなかったらしい。またfuckを「絶対に」の意味としても知らなかったらしい。(因みに、fuckの弱い表現としてはhellがある。hellの「絶対に」も知らないと言っていた)
ただ、相手を罵る意味としてしか知らなかったのは言っていた。
今では普通に友好的に関係は重ねているが
過去にそういう「誤解」(まあ向こうがしていたんだけどね)が生じた。
何がいいたいかというと
何でもかんでもあの人だから ということで
理解を求める、理解して当然 と言う意識は持つなと言うことです。
プロだからといって
何でも理解できるとは限らんと言うことですよ。
日本人の中には、おかしい人がいて
「ネイティブだから英語はすべて理解できる」とさえ曲解している人がいる。
これには驚くと言うか、馬鹿馬鹿しくて、開いた口がふさがらない。
日本人は本当に視野は狭い。