大分前だが、以下のリンク先記事を書いた。
http://ameblo.jp/miumalovely/entry-11688662541.html
ここに書いてあることは間違いないよ。
そもそも、フェラーリやランボルギーニを買う前(に乗っていた車)は
シチュエーションを考えてもなく、本当に車のあるべき姿=乗る ことを無意識的に(当たり前に)行動していたくせに、どうしてフェラーリやランボルギーニといった車になると、打って変わってシチュエーションを吹聴するのだろうか。
1・TPO、それこそシチュエーションにあわせる
2・走行距離の限定(縛り)
3・乗る時期(祝祭日)の限定(縛り)
というように。
上記リンク先記事でもすでに書いたように
フェラーリやランボルギーニといった車にお金を出す人は
車にお金を出しているのではなく、「自分の見栄を張るため」にお金を出している。
要は、車に投資をしているのではなく、自分の見栄維持への投資
ということだ。
それなら、車を乗り回す姿も
もっと大衆に見てもらいたい欲求もでるはずだ(それが人間の性)
それが極自然な流れだろう。
しかし、上記2と3のように
乗る時期や距離を異様に縛る矛盾行為に出る
それは必然的に
アピールをする(大衆の目につかせる)機会を
自ら異様に減らしていることにもつながる
その矛盾行為を考えていくと
フェラーリやランボルギーニを買ったが乗らない人間(ほとんどの所有者)は、その車を見栄の目的で購入するお金は何とかやりくりして貯めたが、その車を乗り回して、維持費をきちんとかけるまでのお金はとてもではないが出せない(所有してない)
すなわち
自らの見栄獲得のためのお金を使ってしまい、貯蓄がついていけない
=乗らないのではなく、乗る金が無い
ということで、話は完結する。
恐らく流れとして、シチュエーションを異様に持ち出すのは
こういう理由だろう。
上記2と3の理由は乗るお金が無いのが事実だが
それを悟られないようにするため、シチュエーションという言葉を使い、あたかもそれが理由で「乗らない」と都合の良い解釈をして乗るお金が無い現実から逃避している。(乗れないのではなく乗らないのだ と自らを正当化している)
気持ちはわからんではないことは一切ない=気持ちはわからん(何この回りくどい表現)
オレに言わせれば
そんな所有物でしか自分の見栄を保てないカスなど
ハッキリ言ってオレの敵じゃない。
オレは社長だ
オレは経営者だ
オレは弁護士だ
オレは先生だ
オレは教授だ
オレは会長だ
オレは大臣だ
「お前ら、下等民族が。俺はトップに君臨するものだ。お前ら下っ端なんだから黙ってオレの言うことを聞け」
そういう自分の社会的地位に自らの見栄を張っている人のほうが
見栄のかけ方が上手いしすなおに尊敬できる。
言っておくが、社会的地位は金をかけることで得られるカンタンな代物(というと語弊があるが)ではない。
しかし車(モノ)は金をかければカンタンに得られる。
フェラーリやランボルギーニの所有者のほとんどが会社員(のヒラ)という調査報告も、「初めてのフェラーリ」という雑誌で載せられていた。
彼らは社会的地位が乏しいから
モノを所有することでしか見栄を保てない(それしか手段が無い)
車なんて毎日乗りまわさないと、ただの鉄クズだ。
それはどんな車にも不変の理だよ。
↧
フェラーリやランボルギーニという車になると、「シチュエーション」を吹聴する 「乗れない言い訳」
↧