ヤクルトスワローズ初優勝の立役者
大杉勝男
チャック・マニエル
この2人がいたからこそのヤクルトスワローズだったと思います。
特に、1977年(2位)、1978年(1位)はこの2人の打棒が大きかったのは
言うまでも無いところです。
さて、この2人はどちらも4番打者の実力を有しているのですが
この2人が一緒にヤクルトで過ごしたのは
1977年
1978年
1981年
の3年間です。
この2人はどちらが4番としてふさわしかったのか
3年間の4番回数と打撃成績で客観的に判断したいと思います。
まず、4番回数
●77年
大杉・・・・・・123試合中 67試合4番(43試合連続4番)
マニエル・・・114試合中 63試合4番(24試合連続4番)
●78年
大杉・・・・・・125試合中 59試合4番(19試合連続4番)
マニエル・・・127試合中 71試合4番(51試合連続4番)
●81年
大杉・・・・・・120試合中 91試合4番(41試合連続4番)
マニエル・・・・81試合中 27試合4番(21試合連続4番)
大杉・・・・・・・368試合中 217試合4番 比率59%
マニエル・・・322試合中 161試合4番 比率50%
3年を通しての結果として、4番の回数は大杉に軍配です。また4番に座る確率が高いのも大杉です。
ただし、1回4番に座るとその座を維持し続ける力(安定感)があるのはマニエルです。
さらに初優勝の78年の4番は大杉と言われていますが、ヤクルト初優勝の4番は大杉ではなく完全にマニエルだということがわかります。初優勝の4番が常に大杉の表記になっているデータがあるのですが、ちょっと疑問に思ってました。
恐らく、78年後半戦はほぼ大杉が4番。日本シリーズは全て大杉が4番だったので、4番=大杉の印象が巷では強いのでしょう。
つーか・・・ 77年と78年の両者の4番争いスゲーなー(汗) 全試合この2人だけで争ってるもん(汗)
次に3年間の打撃成績です。
打撃3冠成績、長打確率、3冠総合値を調べることにします。
本当は4番での打撃成績を見る必要があるのですが
手持ちの資料では分からないので、その3年の成績を見ることにします。
●大杉
1329打数 442安打 141長打 81本塁打 279打点 長打確率11% 長打含有率32%
打率0.333 本塁打率16.4 打点率0.210 打撃3冠総合値・・・379
●マニエル
1072打数 323安打 125長打 93本塁打 236打点 長打確率12% 長打含有率39%
打率0.301 本塁打率11.5 打点率0.220 打撃3冠総合値・・・406
どちらも4番として十二分な能力を保持し
驚異的な数値をたたき出していますが
それでもマニエルは大杉の能力を突き放しています。
打撃3冠総合値ですが基準として
200台中盤~後半はベストナイン級の強打者。300を超えればプロ野球(史)を代表する豪打者。400を超えると世界を代表する豪打者 そういうところでしょうか。
マニエルは81年こそもう往年の力は無く
大杉と4番を再度争う力は無かったわけですが
そういう状態でもこの能力と言うことは
余程77年と78年の能力のお釣りがあったということでしょうね。
逆説では、その2年がどれほど驚異的であったのか証明できることにもなります。
能力で判断するなら
大杉、マニエルの交互の4番も問題ないのですが
1回4番に座ったら長くその座を維持する能力。
そして抜群の打撃能力。
総合的に
4番はマニエル
なのかもしれません。
ただし、先ほども断りで書いたように
これはあくまでも3年間の打撃成績での判断です。
3年間の2人の4番での打撃成績を調べての測定であれば、この状況は一変する可能性は大いにあります。
もし大杉とマニエルの77年、78年、81年の4番での打撃成績が分かる人が居れば直ちにご一報を。
↧
ヤクルト時代の大杉勝男とマニエル どちらが4番か 「マニエル」
↧