オレは、大杉勝男という打者を今でも
「プロ野球史上最強の打者」
と思っている。
数字は勿論だが
「メジャーで打撃で通用する」という「潜在能力」も踏まえての評価であって
この意見は、今後も変わることは無い。
大杉を評価するときに巷でよく言われるのは
「四球が選べない」「選球眼が悪い」 というものがある。
大杉は19年の通算で
四球(フォアボール)の数が715
8660打席で715四球=12打席で1四球
1試合4打席あれば、3試合で1四球
確かに多くは無いと思う。ペースも悪い。
終身打率0.287で出塁率が0.350ジャストで、率の上乗せが
0.063 まあそんなには上乗せは多くない。
衣笠でも0.070以上の上乗せはあるからね。
そこから
大杉は選球眼が悪い
大杉は四球を選べない
という巷の評価が広まったんだろう。
で、以前にも記事で書いた記憶があるのだが
大杉勝男の当時のチーム状況から鑑みるに
大杉は選球眼が悪いのではなく、四球を選ぶ「待つ」行動よりも、積極的に意図的にバットを振りに行っていた
という事を、指摘したい。
客観的にそのときのチーム状況(スタメン状況)が以下から判断できる。
参考にさせていただいたサイトは以下のスタメンアーカイヴさんとスタメンデータベースさん。
http://npbstk.web.fc2.com/order/
http://www.geocities.co.jp/sayashigumi/order/
大杉は東映時代、張本と3番4番を組んでいたが
大杉が張本の前を打つことは殆ど無かったこともわかる。 もし、大杉が張本の前を打つことがあれば、後ろが張本という打者が控えて、強力なので、もしかしたら四球を選んでいた可能性もある。
また
ヤクルト時代も大杉の後ろは非常に打線が弱い。
強力なマニエルがいたのは、77年と78年の2年だけ。しかもそのときは、大杉とマニエルは事実、交互の4番5番の組み合わせだった。
大杉の後ろは事実、非常に打線が弱い。
こういう状況で、呑気に四球を選んで出塁して
後ろの打線に「じゃあ、ボクをホームに還してね」と考えられるかどうかだ。
大杉の後ろの打線能力的に
大杉が仮に四球を選んでも
大杉をホームに生還させる打撃を後ろの打線が発揮できるとは正直思えない。
客観的にスタメンの状況を見ると
もう大杉本人は鬼籍に入ってしまい、聞くことはかなわないが、恐らくは「自分が出塁しても、ホームに還れる可能性は低い。それなら、自分は4番だし、ホームランを打って、自分が自ら生還するしかない。チームが勝つにはそれしかない。」
という意識でいたのではないかと思っている。
まあ、あくまでも
当時のスタメン、大杉の後ろの状況を客観的に鑑みればの話で、推測だけどね。
もし、大杉が1番、2番、3番辺りの打順(上位打線)で
こういう四球が異様に少ない状況だったら、ただ単に選球眼が悪いだけだと思う。