いつかも似たような記事を書いてきたのだが
日本人は、同じ日本の人(選手)を持ち上げる国民性が
他の国の人よりもやたら強い傾向にある。
日本という島国内での目線でしか見なかったり
その島国意識での判断で世界を判断したり
狭い視野(目線)で大海を判断し「世界で通用する」とか「金メダル10個以上とれる」とか・・。
それが結果的に全く違ったり。過去のオリンピックの金メダル予想でも、あまりにも行き過ぎた行為で、オレも記事で「甘い」「とれるわけない」と突き放したのは記憶に新しい。
日本人の同じ日本人(選手)を異様に持ち上げて評価し
あたかも世界でトップクラスかのような扱い。
それが再々というか、かなり頻度として多い。(ニュウスやスポーツ番組でもかなり多発してみられる)
元来、能力的に2~3辺りの選手を、6にも7にも見積もって評価している傾向が非常に多い。
そして、絶対に悪く言わない(仮に能力的に乏しくても、それを隠蔽し、すばらしい選手かのように扱う)。
他国は、仮にそれが同じ国民の選手だとしても
ダメなものはダメと言い放つ(突き放す)傾向がある。
日本と他国の大きな違いは
冷静に客観的にその選手を見定めることが出来ているかどうか。
情を廃し、その選手を評価できるかどうか。
この点だと思う。
日本人は
この点が非常に乏しい。
恐らくそうなるのは
日本という国が、聖徳太子の和の精神に則り
成長し続けてきた国だからだと思う。
要は
他国とのかかわりを遠ざけ(避け)、日本人は日本人同士
仲良く、議論も言い争いも無く、お互い協力し合っていがみ合いもせず生きていこう
日本という国は事実、そういう意識で成り立ってきたのだ。
そういう意識が他国よりも密で強いのは確かで
間違いのない事実だ(実際、日本人は議論も非常に下手ですぐに感情的になる)
良い言い方をしてあげたら
同じ日本人、密故に、日本人は情に脆く、人の気持ちや痛みもよくわかる優しい人種
オレはそう思ってます。
だから日本人が同じ日本人(選手)を良く言いたい(持ち上げたい)気持ち、都合よく言いたい気持ちは正直に言うと、痛いほどよくわかる。
「わかってるならイチイチいうな、黙っておけ」 じゃなくて
それは
同じ日本人に限って
という但し書きが付くことがネックなのよ。
そこを断っておく。
オレも前回の記事のように
猫の記事だったが、間違いなく、もう生きては居ないだろう猫のことでも
「どこかで元気で生きているはずだ」と今でも思っているからね。
死んだところを見ていないし、人から聞いても居ない。
だから都合よく良い方向で考えることが出来る。
人間と猫を一緒にしてはいけないと思う人もいると思うが
都合よい解釈ということは共通だよ。
けどね、日本人が日本人(選手)を言うときに
やたらと持ち上げる行動は
些か行き過ぎだと思うことは良くある。
要は限度ってものがあるんだよ。
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同じ日本の人(選手)を持ち上げたい気持ちは良く分かる 「わかるが行きすぎ」
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