前回の記事で、大杉勝男氏について触れたので
今回も触れていきます。
大杉氏はセパ両リーグに在籍し
史上初のセパ両リーグ1000試合出場、1000安打を残しました。
タイトル数はパ時代の本塁打王2回、打点王2回の4回です。
タイトル数としては少ないですが、まあタイトルは本当に環境(ライバルの有無)や運が実力以上に左右されるので、タイトルがない(少ない)≠実力がない だと個人的に思っています。
ここであくまでも、単純にですが
大杉氏が1975年以降の数字で、あのままパリーグに居たとしたら
タイトルはいくつになっていたのか、検証してみたいと思います。
この目的は本当にタイトルは環境に左右される運の要素が強いのかを見るためです。
あくまでも単純に、セ時代の成績で、パに居続けていたら ですよ。
75年・・・タイトル無し
76年・・・打点王(93打点)
77年・・・首位打者(0.329)
78年・・・打点王(97打点)
79年・・・タイトル無し
80年・・・タイトル無し
81年・・・首位打者(0.343)
82年・・・タイトル無し
83年・・・タイトル無し
首位打者2回
打点王2回
セ・パ合計
首位打者2回
本塁打王2回
打点王4回
タイトル数では増えています。
やはりタイトル数は環境やライバルの有無に左右されるといっても良いと思います。
あくまでもこれだけでの考察ですが
大杉氏はあのままパリーグに居たほうが
もしかしたら、タイトル数という個人勲章においては良かったのかもしれません。(まあ検証はセの成績でパにいたらというものですが)
セリーグに移籍したは良いが
それは大杉氏にとってあまりにもタイミングとしても不運だったのかもしれません。
本塁打や打点では王貞治、野村克也、長池徳二という存在。
打率では若松勉や張本勲、谷澤健一の存在。
強力なライバルに恵まれて切磋琢磨できたは良いがそれはタイトルという個人勲章においては大杉氏にとってかなり不運に動いたのだと思います。
個人的に
オレとしては、セに来て偉大な記録(両リーグ記録)を成し遂げ
ヤクルト初優勝に貢献し、日本シリーズ記録やMVPを獲得したのもよいのだが、あのままパリーグで背番号51を背負って活躍してもらいたかったな というのが本音のところではあります。 これも独断ですが、打率は落ちてはいたでしょうが、能力やペースを考えると本塁打は600前後。打点は1700前後と伸びていた可能性はあった(伸びてもおかしくない打者)と思うので。