以前にも書いた記事。
「榎本喜八は過大評価である」
http://ameblo.jp/miumalovely/entry-12040215916.html
間違いない事ですけどね。
そもそも、榎本喜八と言うのは
打撃数値を客観的に見ても大したことがありません。
特に
1・打率
2・本塁打能力
3・打点能力
この3冠能力を総合的に見ても
榎本喜八は、上記リンク先記事のように、本当に大したことがありません。
榎本と言えば、やたら安打数(最年少での2000安打)や奇行のことばかりが取り上げられますが
1・・・打率3割は左打者でありながら6回しかない(事実)
2・・・打率3割20本塁打は2回しかない(打率と本塁打の両立がまず無理)
3・・・本塁打率が32であり、日本時代のイチロー(31)以上に期待できない(事実)
4・・・3番を張った回数が1200試合以上ありながら、打点が期待できない(事実)
5・・・ハイレベルな成績を続けることも出来ていない(榎本の打撃成績参照)
6・・・全体的に打撃成績はごく平凡である(打撃成績参照)
こう書くと、以下のように言うバカが現れます。
「その当時の『環境』では良かったんだ。その当時、どれだけ榎本くらいの成績を残せたんだ!」
環境と言うのは、その時代の集大成です。
なので、環境と言うものを持ち出すと収拾がつかない。
だから、残す数字がその選手の結果となる。
以前にも何度も書いたように
今は投手は完投する時代ではない。でもやろうと思えば出来る とかいっても
実際完投も出来ていないのが現代の環境なのだから
出来ない(出来てもいない)のを「出来る」と吹聴して取り上げても無意味だということ。
逆説では
今の時代の投手が昔に行けば何勝出来る、今の打者が昔に行けば打率何割残せる
昔の打者が今に来れば何本打てるとかの話も全く意味を成さない ということです。
当たり前なんですよ。
その時代の環境の集大成が
今(昔)にタイムスリップするわけないんですから。
巷(ネット)でよく、「今の投手が昔に来れば」「昔の投手が現代に来れば」とか話題に出している人が居ますが
その手のレベルの話は幼稚園児のおままごと以下のレベルです。
まあ、早い話
「幼稚園児のおままごとにも満たない仕事まがいをする暇があるなら、お前ら、生業探せ」
ってことです。
榎本は、あの程度だった ってことです。
いくら、最年少で2000安打してようが、奇行で神に崇められようが
実際、打撃数値は大したことが無いのが事実なんです。
だからオレは何度も
客観的数値を見れば、その崇める行為は行きすぎだ。
と指摘したんです。
榎本の打撃数値
打率0.298 本塁打率32 打点獲得率0.125
これで
「コイツは、神レベルだ!」
って思う奴の頭がウンコレベルです。
追い討ち掛けましょうか。
打率0.298は左打者でその程度です。
右打者で、打率0.287であった大杉勝男氏と打率0.010しか違いません。
打率0.010(1分)って、何打数何安打の違いか分かりますか??
打率0.010(1分)は
100打数1安打の違いしかありません。
1試合4打数あるとすれば、100打数1安打の差ってのは
25試合に1安打の違いしかないって事です。
本塁打率32というのは、32打数に1本のペースですね。
10本打とうと思えば320打数要ります。
1試合4打数あるとすれば、320打数(10本打つ)には
80試合ジャストですね。
80試合で10本。しかも左打者で打率0.298の打者。
おまけに打点獲得率は0.125
1200試合以上3番を張っておきながら
その程度でしかない。
日本時代のイチローですら0.129ありました。
強打者と言われるクリンアップを張った打者の打点獲得率は
過去に書いたことがありました。
大体0.150~位の値でしたね。
強打者とはそこまで言えない、有藤(元ロッテ)でも0.130あったことを考えると
1200試合以上も3番を張りながら、打点がついていない榎本は
1・・・余程ランナーを還す力がなかった(打ててもシングルヒット)
2・・・チャンスに弱かった
と言う解釈でも問題ないと思いますけどね。
そういう榎本のような打者を神のように崇め奉り
妄信するアホたちは
それこそ、麻原を崇め倒すオウム真理教信者と同じ臭いがしますけどね。
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榎本喜八は過大評価で間違いない 「崇めるアホたちはオウム真理教信者と同じレベル」
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