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東映(日本ハム)やヤクルトが暗黒時代を彷徨ったのは、4番打者・大杉勝男の責任か?

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書籍作成と予備校業務が忙しく、更新久しぶり。


本日はゴキローの話題ではなく別の話題。


野球において、チームが勝てなかったら
責任は4番打者に向けられる。

4番打者はチームの大黒柱であり、顔でもある。


だから、チームが負ければ
その4番に責任が向けられるのだろう。



ここで、暗黒期を彷徨ったチームの4番打者として


大杉勝男(東映、ヤクルト)


がいる。



大杉勝男が在籍したチーム(東映、ヤクルト)は
ハッキリ言って万年Bクラスのお荷物球団とさえ揶揄されたほど。



大杉勝男氏は、そのお荷物球団の4番打者として
チームを牽引していた。




本当に、大杉勝男に「打てない」責任があったのだろうか?




客観的に検証してみたい。




●東映時代
4698打席 4164打数 1171安打 287本 819打点
打率0.281 本塁打率14.5 打点率0.174

●ヤクルト時代
3962打席 3599打数 1057安打 199本 688打点
打率0.294 本塁打率18 打点率0.174







どちらに所属していたときも
満遍なく打って、数字も3冠総て高い。




ヤクルト時代は本塁打の能力が落ちた。それはデータから事実でも有る。
しかし、キチンとホームランバッターの値は維持しているし、なによりも
東映時代よりも打率が高い。


そしてもうひとつ、特筆すべき点。


ランナーをホームに生還させる能力(勝負強さ)は
東映時代と変わっていない。





4番打者(クリンアップ)の打順としての役割



・打撃3冠に秀でて長打も打て、点も取れる。
・そして、ここぞというときには、必ず点が取れる。
・1発で試合の流れを大きく変える力がある。



ここを鑑みていくと



大杉勝男氏はキチンとデータ(4番打者と言う能力)からもその責務は果たしていた。



ということは断言できる。




東映やヤクルトが暗黒時代を彷徨ったのは
大杉勝男氏が打っていないからではなく




投手が点を取られすぎ、大杉勝男氏を筆頭に
他の打者達が点を取り返すまでに及ばなかった。



要するにこういうことだ。



東映やヤクルトと言う打線が投手の失点を取り返すまでの
厚い打線ではなかった



ということだろう。



東映時代はこういう打線だったと思う。


1番↓
2番↓
3番↑(張本)
4番↑(大杉)
5番↓
6番↓
7番↓
8番↓


3番4番がバズーカになっていても
他がキャノンデール(谷間)になっているから、打線が繋がらないのは当たり前。





ヤクルト時代はこういう感じ。



1番↓
2番↓
3番↑(若松)
4番↑(大杉)
5番→(杉浦)
6番↓
7番↓
8番↓




杉浦が覚醒しだしたのは、大杉引退の83年以降。
時期的に遅かったので、大杉在籍の9年は能力的に(→)が妥当。



80年代の近鉄、広島のように
打線の厚みがない球団だったので、この状況で

チームが勝てない=大杉の責任だ

と、氏一人に責任を負わせるような言動はあまりにも
おかしい。




大杉は打撃能力からも
4番としての責任は全うしている。




なので、東映やヤクルトが暗黒時代を彷徨っていたのは




・大杉、張本、若松以外の打者がダメすぎる
・投手が点を取られすぎ(1人、2人の力じゃどうにも出来ない)




ここに集約されると思うけどね。










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