1978年 4番としてヤクルトを引っ張り
ヤクルト初優勝、初の日本一の原動力となった大杉勝男氏。
1978年 打率0.327 30本 97打点を残し
日本シリーズでも、打率0.310 4本 10打点を残しました。
日本シリーズ4本は日本タイ記録
日本シリーズ10打点は日本記録です。
そんな大杉氏ですが
翌79年は極度の不振に陥ります。
打率は一気に0.242に下降。
ホームランは僅かに17本。 勝負強さも陰りが見えました。
これは1996年のテレビ放送
「知ってるつもり」でも紹介された内容ですが
当時の記憶を頼りに、放送された内容をそのまま綴ります。
大杉さんの長女(貴絵さん)が
大杉さんのスランプが原因で、学校でイジメにあったそうです。
長女の貴絵さんは
就寝前に、大杉さんの枕元に、こう手紙を書いて置きました。
「学校に行くと、ヤクルトが負けるのは大杉のスランプのせいだと言われイジメられるから、学校に行きたくない」
大杉さんは就寝前にその手紙を発見。
長女にこう返事を書いたそうです。
「明日学校に行って、先生に頼んでくるからね。そんなこと心配しないで貴絵ちゃんガンバレ。
パパもね貴絵ちゃん、パパが小さい頃毎日母さんが家を留守にしたことがあったの。パパも毎日母さん恋しさに泣いたよ。 貴絵ちゃんも思い切り泣くといい。少しは気が晴れるだろう」
また、大杉さんの夫人も
自分の責任と苦しみ、自律神経失調症と喘息の悪化で3ヶ月の入院をすることになりました。
大杉さんは、こういうことがあっても
決して周りのせいにせずに、家族をかばい
自分の尻を叩いていきました。
大杉さんは、翌80年
打率0.301 21本 82打点 と復活します。
大杉さんは日記にこう書いておられました。
「嬉しくって一人で笑い
嬉しくって一人で泣いた。 そんな3割1厘だった」
また、81年
大杉さんは、首位打者争いを巨人の篠塚と演じることになります。
(最終的に、最後の最後で規定打数に乗った阪神の藤田が首位打者を掻っ攫った)
36歳だった大杉さんは終盤の息切れで打率を落としましたが
自己新記録の打率0.343で打率3位ホームランも20本 78打点を残しました。
スポーツ選手の非常にきついところは
練習もそうですが、選手本人がダメだったとき
本人だけではなく、矛先が家族に向けられる
というところです。
自分だけに向けられるなら
「何を、今に見とれ」 ということで見返すことは出来ますが
無関係な家族に向けられる。
それを活字で見たときはどんなに辛いことかと思います。
大杉さんの凄いところは
どんなことがあっても、家族をかばい、常に自分の責任と背負い込み常に自分の尻を叩いて頑張っていった。
当たり前なようで
実は、これはできることではないんでしょうね。
オレは結婚もしてないし
子供も居ませんが、自分に「大杉さんと同じことが出来るか」と言われたら
出来ないと思います。
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豪打者 大杉勝男氏の心優しい行動 「常に家族を気遣った行動」
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